関門海峡の最も幅の狭い場所には関門橋が架かっており、下関側の関門橋下あたりの海岸線は、壇ノ浦(だんのうら)といわれています。
古くから関門海峡は大きな歴史の転換点にあたる舞台となってきました。中でも壇ノ浦は、重要な歴史の出来事が起きた場所としてその名を知られています。
今回は壇ノ浦の歴史、そして歴史を感じられる観光スポットをご紹介します。
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壇ノ浦で起きた歴史的な出来事
壇ノ浦の戦い
平安時代末期、
海上戦を得意とする平家は屋島と下関の彦島に拠点を持っていましたが、屋島の戦いで敗れ、九州も抑えられた平家にとって彦島は最後の砦。
平家にとって背水の陣で臨んだ戦いが、
海上戦に長けていた平家、壇ノ浦でも優位に戦いを進めていましたが、あることから平家は劣勢に転じます。
それは、関門海峡の潮の流れ。
そして栄華を極めた平家はここ壇ノ浦で滅亡し、新しい源氏の、武士の時代が始まったのです。
馬関戦争~長州藩と欧州列強の戦い~
馬関戦争は、
長州藩は幕府による攘夷思想にのっとり、
攻撃を受けたアメリカ、フランスは長州藩に報復攻撃を仕掛け、長州藩には甚大な被害が出ます。それでも長州藩は攘夷の姿勢を崩しませんでした。
それを受けて
この戦いから長州藩は、攘夷から方向を転じていきます。そして、幕府の終焉へとつながっていきます。
歴史にまつわる壇ノ浦の観光スポット
みもすそ川公園
壇ノ浦古戦場跡として知られる
この公園には、源平合戦で相対した
目の前には平家を翻弄した関門海峡ならではの潮の流れをまじかに感じることができ、またすぐ手が届くかのような対岸には北九州の街並みが。
公園からは関門橋も見上げることができ、
馬関戦争では、関門海峡沿いに砲台や軍艦を設置していました。
中心となった前田砲台は壇ノ浦から約 キロ北東の場所にあったそうですが、現在はみもすそ川公園に砲台のレプリカが設置されています。
前田砲台は欧州列強に占領され燃やされ、大砲は戦利品として持ち帰られたそうです・・・。
多くの犠牲者を出した馬関戦争を今に伝える砲台のレプリカ、長州藩の覚悟を感じます。
今あるこのレプリカの砲台は、
息子が小さい頃この砲台の音が出るのを知らなくって、音と煙にすっごくびっくりして(笑)いい思い出です^^
駐車場は向かいにある関門プラザ前になります(無料・20台くらい)。
赤間神宮
壇ノ浦の戦いで平家の敗色が濃くなったころ、8歳の幼帝・
翌日地元の漁師の網にかかった安徳天皇が引き上げられ、阿弥陀寺に祀られることになりました(今の赤間神宮)。境内には安徳天皇阿弥陀寺陵、また平家一門の墓があります。
入水の際、安徳天皇は二位の尼に聞きます。「どこへ行くのか」と。すると建礼門院は不安を和らげようと、こう言うのでした。「これから極楽浄土へゆくのですよ」と。
海の中にも都はありますよ・・・そして腕に安徳天皇を抱え、ゆっくりと海に沈んでいったのです。
二位の尼の歌にならい、赤間神宮はまるで海の中の都である竜宮城のような、美しい水天門が海峡に向かってそびえています。
そして、今も毎年5月には安徳天皇を偲ぶ先帝祭が、上臈道中を中心に華やかに行われています。
火の山
源平合戦、馬関戦争・・・歴史の舞台となった
みもすそ川公園がある壇ノ浦から登っていくところにあり、車でも徒歩でも上ることができます。
山頂まではロープウェイもあり、ゴンドラから関門海峡を一望できます。山頂から見渡す関門海峡は、悲しい、また時代を変える出来事が起こった海峡とは思えないほどの晴れやかな美しさです。
また山頂からの夜景は日本夜景遺産にも選ばれたほどで、
まとめ
今回は関門海峡、壇ノ浦の歴史と観光スポットをご紹介しました。
関門海峡はそのほかにも歴史の舞台になった場所です。武蔵と小次郎の巌流島の戦い、ふく食の解禁などの舞台も下関、関門海峡なんですよ。
歴史の重要なスポットである関門海峡、いらっしゃった際にはその景色と、先人たちに思いを馳せていただけたらと思います。