こんにちは、防府市の主婦なんたんです。
山口県からは8人もの総理大臣が輩出されていることをご存じでしょうか?
全国最多の人数ですが、どうして本州の西の端で人口も多くない山口県から、こんなに多くの総理大臣が生まれたのでしょうか。
その理由をたどると、明治維新で活躍した長州藩の人材や幕末の改革、受け継がれてきた政治基盤などがみえてきました。
ある日、小5の娘とテレビを見ていた時のこと。
「安倍首相は山口県が地元なんよ」
「へーそうなん?」
「知らんの?ほかにも山口県出身の総理大臣って多いんよ」
「山口なのに?誰がおるん?」
この会話をきっかけに、わたし自身、歴代総理の名前をきちんと説明できないことに気づきました…。
そこで今回は、山口県出身の歴代総理大臣と、なぜ山口県から多くの総理大臣が輩出されたのか、その理由を調べてみました。
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山口県出身の総理大臣が多い理由は?
山口県出身の総理大臣が多い理由は、幕末に活躍した人材が、明治新政府でも中枢を担ったことがいちばんにあげられます。
またその後も、政治家を育てる土壌や人脈が受け継がれたことで、大正・昭和・平成に入ってからも、総理大臣を輩出しました。
山口県出身の総理大臣の数はダントツに多い

令和8年の現在まで、内閣総理大臣を務めたのは66人。現職は第105代内閣総理大臣です。
また、これまでに総理大臣を輩出しているのは28都道府県だそうです。
歴代首相の出身地を県別にみると、1位は8人で山口県、2位は5人で東京都、3位は4人で岩手県なんですよ。
山口県出身の総理大臣の多さはダントツですね。
歴代の山口県出身の総理大臣一覧
初代内閣が誕生したのは、明治18年のこと。
初代内閣総理大臣は山口県出身の伊藤博文です。
※敬称略
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1、5、7、10代首相 伊藤博文(いとうひろふみ) |
初代総理大臣。現在の光市出身。 44歳で総理大臣となったのを最初に、通算4度総理大臣に就任。憲法を制定。 |
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3、9代首相 山縣有朋(やまがたありとも) |
現在の萩市出身。2度総理大臣に就任。近代軍制を確立。 幕末は松下村塾に学び、奇兵隊に参加。 |
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11、13、15代首相 桂太郎(かつらたろう) |
現在の萩市出身。明治34年に就任。 通算在任期間は7年10ヶ月と長期に及ぶ。 |
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18代首相 寺内正毅(てらうちまさたけ) |
現在の山口市出身。 大正5年(1916年)に就任。明治はじめの西南戦争に従軍していた。 |
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26代首相 田中義一(たなかぎいち) |
現在の萩市出身。 昭和2年就任。幕末の1864年生まれ。 飾らない人柄でニックネームは「おらが宰相」。 |
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56、57代首相 岸 信介(きしのぶすけ) |
現在の山口市出身。本籍は田布施町。 昭和32年に就任。昭和35年日米新安全保障条約に調印。 |
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61、62、63代首相 佐藤栄作(さとうえいさく) |
現在の田布施町出身。 岸信介の弟。 |
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90、96、97、98代首相 安倍晋三(あべしんぞう) |
現在の長門市出身。 岸元総理が祖父、佐藤元総理が大伯父。 |
幕末に活躍した人材が明治政府でも出世した
総理大臣が多い理由のカギになるのは、明治維新です。
明治維新は江戸幕府を中心とした武家社会を倒し、新たな近代社会に歩みをすすめた、日本の歴史の大きな転換点です。
その明治維新を中心になって支えたのが、ご存じ長州藩の志士たちでした。
当時江戸幕府に相対していたのは、長州藩と薩摩藩。
すなわち、幕府を倒した主力となったのが、おもには長州藩と薩摩藩の志士たちということになります。
そのため維新後もそのまま長州藩と薩摩藩の人材が政府にひきつがれ、出世していきました。

江戸末期に活躍した思想家・吉田松陰をご存じでしょうか。
江戸幕府を改革しようと脱藩したり密航を試みたりしたのち、萩で有名な松下村塾を開きます。
その松下村塾には高杉晋作や久坂玄瑞、のちの明治政府の要になる伊藤博文、山縣有朋などが学んでいました。
維新の騒動で命を落とす方もいましたが、彼らが明治維新を支え、維新後の政府を動かしていくようになります。

(松下村塾の講義室)
長州藩には多くの人材を育てる土壌ができていた
不思議に思うかもしれませんね。
山口県は本州の西の端で人口も少ないのに、どうして明治維新を支えるほどの人材がたくさんいたのか、と。
もちろん、吉田松陰が門下生を育てたことも大きな要因です。
しかしその前に、幕末の長州藩には、吉田松陰や多くの志士たちが活躍できる土壌ができていたのです。
じつは長州藩、莫大な赤字を抱えており、財政はかなり逼迫していました。
なんと、藩の年収の22倍もの借金があったのだとか!
このままでは藩が立ち行かなくなる。
危機感を覚えた13代藩主・毛利敬親(たかちか)は、村田清風(むらたせいふう)を家老顧問役に抜擢し、財政改革を断行します。
地域の特産品に力を入れたこと、越荷方(こしにがた)事業へのテコ入れにより、藩の借金返済の目途がつき、財政は次第に好転していったのです。
長州藩の石高は36万石といわれていますが、改革のおかげで、実際は71万石、いえ、100万石はあったという説もあるとか。
すごいですね!
また改革では、教育による人材育成にも努め、家柄に関係なく教育を受けられるよう、多くの教育機関を整えました。
なかでも有名なのが、藩校「明倫館」です。
孔子を祭った聖廟、講堂、寮、武術場や水練用の池、医学所などが作られ、大学・小学の制度も整えられました。
まさに総合大学だったそうです。
長州藩は、身分に関係なく人材を育成し、彼らを支える財政基盤を整えていたということですね。
大正時代以降も山口県から総理大臣が出ているのはなぜ?
明治の総理大臣は、明治維新で活躍した、長州と薩摩の出身者がほぼ交代で務めていたようです。
大正に入ると薩長交代政権ではなくなり、次第に日本各地出身の首相が誕生していきました。
ちなみに、鹿児島県出身の歴代首相は3人。
大正以降は鹿児島出身の首相は輩出されていないようです。
どうして山口県は、大正以降も総理大臣を輩出することになったのでしょうか。
長州の人脈が続いた
明治後も山口県出身の総理大臣が輩出された背景には、明治維新の人脈が大きく関与しているようです。
長州藩出身者は、明治政府や軍の中枢で大きな影響力を持ちました。そのため、多くの長州藩出身者が活躍する土台があったといわれています。
こうした流れの中で、桂太郎、田中義一、寺内正毅が総理大臣に就任していきます。
とはいえ、同郷の有能な人材がいなければ、総理大臣に登用することはできません。
明治、大正には、山口県出身の政治家が数多くいたと考えられます。
吉田松陰や高杉晋作ら多くの志士を輩出した山口県では、その志を郷土の誇りとして受け継いでいます。
国政を志す人が出てきやすい環境があったのかもしれません。
戦後は政治家の地盤が受け継がれた
戦後、山口県出身者が占めていた軍が解体され、元老制度もなくなり、かつての長州の人脈は姿を消しました。
それでも山口県出身の総理大臣が輩出されたのには、政治基盤の継承があります。
岸信介から佐藤栄作、安倍晋三へと続く政治家一族が生まれ、強い地盤が長年受け継がれていきました。
山口県民は本当に政治好き?
さて、このようにたくさんの政治家を輩出した山口県。
なにか県民性が関係するのかな?と思い、他県の方から見た山口県民の県民性を調べてみました。
すると、下記の特徴があがっていました。
・保守的、頑固、義理人情に厚い
・血縁、地縁、先輩後輩の関係を大事にする
仲間で結束して倒幕に臨んだ長州藩の姿を思うと、山口県民が「人とのつながりを大切にする」といわれるのも、少し分かる気がします。
また、山口県は保守派が強いと聞きますが、そんなに日常的に政治の話をしていることはありません。
ですが、私の親の年代は支持する政治家や政党を長年変えない傾向があります。
自分で選んだ派閥というよりも、会社や地域の地盤が影響しているようです。こういうところは義理堅いのかな?
どちらにしても、郷土から8人もの総理大臣が輩出されていることに、誇らしさを感じる県民は多いと思います。
まとめ
今回は山口県出身の総理大臣が多い理由、歴代の山口県出身の総理大臣を調べてみました。
明治維新で活躍した人脈だけでなく、その後も政治文化や人脈が受け継がれてきたことが、山口県から総理大臣を多く輩出した背景にあるのかもしれませんね。
山口県に住んでいますが、あまり政治家を多く輩出している県という自覚はないです。
ふだんの生活では、実感はないですよね。のんびりしたものです(笑)
ですがこうして調べてみると、山口県は幕末から歴史を動かしてきたんだな、その歴史の積み重ねが今の山口県につながっているのだな、とも思いました。そして郷土の人物にももっと関心を持ちたいなと感じました。
少しでもなぜ山口県出身の総理大臣が多いことへの疑問にお答えできたなら、幸せます。
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