山口県出身の総理大臣はなぜ多い?歴代総理大臣や県民性を調べてみました

山口県出身の総理大臣はなぜ多い?歴代総理大臣や県民性を調べてみました

こんにちは、防府市の主婦なんたんです^^
今回は「総理大臣に山口県出身者が多いのはなぜ?」をテーマにお送りします。

というのが、ある日小5の娘との会話で、テレビに映る総理大臣を見ながら「安倍首相は山口県が地元なんよ」「へーそうなん?」「知らんの?学校で教えてもらってないん?ほかにも山口県出身の総理大臣って多いんよ」「山口なのに?誰がおるん?」
・・・山口県から8人もの総理大臣が輩出されていること、全然知らないようです(-_-;

わたし自身もなぜ山口県出身の総理が多いのか、歴代総理の名前も娘に教えてあげられそうになかったので(県民としてお恥ずかしい・・・)、調べてみることにしました。
 

↓こちらの記事も読まれています^^。初代総理大臣・伊藤博文公も山口県出身!
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山口県出身の総理大臣が多い理由は?

令和2年の現在(9月はじめ)まで、内閣総理大臣を務めたのは62人。
これまでに総理大臣を輩出しているのは28都道府県だそうです。
歴代首相の出身地を県別にみると、 位は8人で山口県、2位は5人で東京都、3位は4人で岩手県なんですよ。
山口県出身の総理大臣の多さはダントツですね。

総理大臣が多い理由のカギになるのは、明治維新です。
明治維新は江戸幕府を中心とした武家社会を倒し、新たな近代社会に歩みをすすめた、日本の歴史の大きな転換点です。その明治維新を中心になって支えたのが、ご存じ長州藩の志士たちでした。

当時江戸幕府に相対していたのは、長州藩と薩摩藩。
すなわち、幕府を倒した主力となったのが、おもには長州藩と薩摩藩の志士たちということになります。
そのため維新後もそのまま長州藩と薩摩藩の人材が政府にひきつがれ、出世していきました。

江戸末期に活躍した思想家・吉田松陰をご存じでしょうか。きっと聞いたことはあると思います。
江戸幕府を改革しようと脱藩したり密航を試みたりしたのち、萩で有名な松下村塾を開きます。
その松下村塾には高杉晋作や久坂玄瑞、のちの明治政府の要になる伊藤博文、山縣有朋などが学んでいました。彼らが明治維新を支え、維新の騒動で命を落とす方もいましたが、維新後の政府を動かしていくようになります。

(松下村塾)

でも不思議に思うかもしれませんね。
山口県って本州の端っこで人口も少ないのに、当時はどうして明治維新を支えるほどの人材がたくさんいたの?と。

もちろん、吉田松陰が門下生を育てたことも大きな要因です。が、これらの人材を支援できた長州藩は、藩政改革に成功してとっても藩内が潤っていたんだそう!
長州藩の石高は36万石と言われていますが、実際は7 万石、いや 00万石ぐらいあったという説もあるとか。藩に幕末の志士たちを支える力があったということですね。

 

歴代の山口県出身の総理大臣一覧

初代内閣が誕生したのは、明治 8年のこと。初代内閣総理大臣は山口県出身の伊藤博文です。
そのほかの山口県出身の総理大臣、ご存じでしょうか?


 、5、7、 0代首相 伊藤博文
いとうひろぶみ(光市) 初代総理大臣。
44歳で総理大臣となったのを最初に、通 算4度総理大臣に就任。憲法を制定。


3、9代首相 山形有朋
やまがたありとも
(萩市) 2度総理大臣に就任。近代軍制を確立。
幕末は松下村塾に学び、奇兵隊に参加。


  、 3、 5代首相 桂太郎
かつらたろう(萩市) 明治34年に就任。
通算在任期間は7年 0ヶ月と長期に及ぶ。


 8代首相 寺内正毅
てらうちまさたけ(山口市) 大正5年( 9 6)に就任。明治はじめの西南戦争に従軍していた。
第一次大戦後の難局の処理にあたる。


26代首相 田中義一
たなかぎいち(萩市) 昭和2年就任。幕末の 864年生まれ。
飾らない人柄でニックネームは「おらが宰相」。


56、57代首相 岸 信介
きしのぶすけ(山口市) 昭和32年に就任。昭和35年日米新安全保障条約に調印。
「昭和の妖怪」の異名を持つ。


6 、62、63代首相 佐藤栄作
さとうえいさく
(田布施町) 岸信介の弟。
昭和39年に就任。
非核三原則提唱、沖縄返還の立役者。ノーベル平和賞受賞


90、96、97、98代首相 安倍晋三
あべしんぞう(長門市) 岸元総理が祖父、佐藤元総理が大伯父。
東京都生まれだが、本籍地が長門市。




何人の首相をご存じだったでしょうか。
わたしは一部わからない方が・・・(-_-;) もっと県民として、勉強します。
こうして一覧にしてみると、明治維新で活躍した方々がそのまま明治政府を支えていったことがわかります。
明治の総理大臣は、長州と薩摩の出身者がほぼ交代で務めていたようです。

大正に入ると薩長交代政権ではなくなり、次第に日本各地出身の首相が誕生していきました。
ちなみに鹿児島県出身の歴代首相は3人。大正以降は鹿児島出身の首相は輩出されていないようです。
どうして山口県は、大正以降も総理大臣を輩出することになったのでしょうね。うーん・・・。

山口県民は政治家向きの県民性?

さて、このようにたくさんの政治家を輩出した山口県。
なにか県民性が関係するのかな?と思い、他県の方から見た山口県民の県民性を調べてみました。調べると、おもにはこちらがあがっていました。 ・郷土意識が強い
・保守的、頑固、義理人情に厚い
・血縁、地縁、先輩後輩の関係を大事にする

仲間で結束して倒幕に臨んだ姿は、まさに仲間(血縁や上下関係)を大切にする山口県民の県民性を表しているのかもしれませんね。
そして、たくさんの政治家を輩出していることから、とても郷土意識が強いそうです。うーん、わたしは山口県民ですが、そうなのかな?

保守的というのは、県民でもよく耳にします(笑)
長州藩は藩政改革でとても潤って、地理的にもモノや情報が集まる好立地だったそう。そういうこともあり、恵まれた状態なので変化を好まないのではないか・・・とありましたが、そうでしょうか?
でも山口県はいいとこだなーって思いますものね。変わってほしくないなあって。
これは保守的なのかな^^

まとめ

今回は山口県出身の総理大臣が多い理由、歴代の山口県出身の総理大臣を調べてみました。
山口県に住んでいますが、あまり政治家を多く輩出している県という自覚はないです。ふだんの生活では、実感はないですよね。のんびりしたものです(笑)

ですがこうして調べてみると、山口県は幕末から歴史を動かしてきたんだな、そのおかげで安心して暮らせる山口県があるのかな、とも思いました。そして郷土の人物にももっと関心を持ちたいなと感じました。
少しでもなぜ山口県出身の総理大臣が多いことへの疑問にお答えできたなら、幸せます。

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