山口県には、下関・中関・上関と「関」のつく地名があります。
かつては瀬戸内海の海上交通の要衝として栄え、「防長三関」と呼ばれていたそうです。
下関出身の私にとって、中関や上関は子どもの頃には遠い存在でした。車に乗れなかったこともあり、名前は知っていても実際に訪れる機会はほとんどありません。
それなのに、どこかで「下関がいちばんだよね」と勝手に思っていました。もちろん根拠はありません。ただ、「下」がついていても下関が一番有名だし、なんとなく誇らしかったのです。
ところが大人になってから、上関の近くに住むことになり、その後は中関のある防府市へ。
気がつけば、子どもの頃には遠いと思っていた「関」のつく土地を巡るような人生になっていました。
今回は、そんな思い出も交えながら、防長三関と呼ばれた下関・中関・上関の歴史を調べてみました。
防長三関とは?

防長三関(ぼうちょうさんせき)とは、瀬戸内海西部の海上交通を監視するために設けられた三つの関のことです。各地には番所が置かれ、船や積み荷の検査、税の徴収などが行われていました。
その始まりは、戦国時代の16世紀ごろまでさかのぼるといわれています。瀬戸内海は古くから人や物資が行き交う重要な航路であり、大内氏が勢力を持っていた時代には、船の往来を管理するための関所が整備されました。
江戸時代になると、長州藩は三つの関を重要な拠点として位置づけます。
防長三関を構成するのは、現在の熊毛郡上関町にある上関(かみのせき)、防府市三田尻地区にあった中関(なかぜき)、そして下関市にある下関(しものせき)の三か所です。
なお、「上関」「中関」「下関」の名前は、関の重要度を表しているわけではありません。
当時は京都や大坂に近い方を「上(かみ)」、遠い方を「下(しも)」と呼ぶ考え方があり、都に近い順に上関・中関・下関と名付けられたとされています。
上関の歴史と役割

上関は、古くから瀬戸内海を行き交う船が立ち寄る海上交通の要衝として栄えてきました。
鎌倉時代には、北条氏の一門である金沢氏がこの地域を所領としていたことが知られています。
その後、16世紀になると村上水軍が上関城を築き、この地域を支配しました。
村上水軍は瀬戸内海の航路を掌握し、上関に関を設けて船の往来を管理していました。
また、通行する船から帆別銭(ほべつせん)と呼ばれる通行料を徴収していたといわれています。
江戸時代になると、上関は瀬戸内海を航行する北前船(大阪と北海道を結んだ商船)の寄港地として発展しました。
防長三関のひとつとして海上交通を管理する重要な役割を担っていました。
中関の歴史と役割
中関は、防長三関の中でも特に物流の拠点として重要な役割を担っていました。
江戸時代、防府の沿岸部では塩田開発が進められ、大量の塩が生産されるようになります。塩は、紙・米・蝋とともに長州藩の特産品「防長四白」のひとつに数えられ、藩の財政を支える貴重な産物でした。
中関は、その塩を各地へ運び出すための積み出し港として整備されます。生産された塩は船で運ばれ、長州藩の経済を支える重要な物流の一端を担っていました。
また、中関の近くには三田尻港がありました。
三田尻港は毛利氏の海の玄関口として栄えた港で、参勤交代の出発地としても知られています。
中関は三田尻港とともに、防府地域の海上交通や物流を支える重要な拠点だったのです。
下関の歴史と役割

下関は関門海峡に面した港町。
関門海峡は、瀬戸内海と日本海を結ぶ重要な海上交通路で、古くから多くの船を行き交っていました。
江戸時代には上関同様、北前船(大阪と北海道を結んだ商船)の寄港地として栄えました。
防長三関のひとつとして、海上交通を管理する重要な役割を担っていたと考えられています。
現在の上関・中関・下関
かつて海上交通の重要な要衝として栄えた防長三関ですが、時代とともにその役割は変化しました。
上関
北前船の寄港地になって栄えた上関は、明治時代以降に蒸気船が普及すると、風待ち・潮待ちの港としての役割は次第に小さくなりました。
現在は瀬戸内海の美しい景観が広がる町として知られ、1969年(昭和44年)に開通した上関大橋によって本土と結ばれています。
昔ながらの港町としての面影も残っており、歴史を感じられる町ですよ。
かつて村上水軍の拠点だったことにちなみ、毎年夏には「上関水軍まつり」が行われています。
中関
塩の積み出し港だった中関は、形を変えて工業の物流拠点になりました。
江戸時代に塩田が広がっていた場所には、現在、多くの工場や物流施設が整備されています。
おもに、車の輸出積み出し港として大型車両船やコンテナ船が出入りし、防府市の産業を支えています。
下関
関門海峡を押さえる交通の要衝だった下関は、現在も山口県を代表する港湾都市です。
関門海峡を挟んで九州と向かい合う立地を生かし、物流や水産業、観光の拠点として発展してきました。国際航路やフェリーが発着する港を持ち、多くの人や物が行き交っています。
まとめ
防長三関についてご紹介しました。
子どもの頃の私は、下関がいちばん有名だから一番のはず、と思っていました。
しかし今回調べてみて、上関、中関にもそれぞれ重要な役割があり、歴史があったことがわかりました。
身近な地名にも、歴史が隠されていて面白いですね。
昔は遠く感じていた中関ですが、今では防府に住み、かつての塩田地帯に広がる工場や物流拠点としての中関港を身近に感じています。
今度は久しぶりに、上関にも足を伸ばして、防長三関のひとつとしての歴史を感じてみたいなと思います。