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長門国は現在の山口県のどこ?読み方や歴史、成り立ちを調査

長門国は現在の山口県のどこ?読み方や歴史、成り立ちを調査

長門国(ながとのくに)はほぼ山口県の西部で、県の東部が周防国(すおうのくに)であったことは、多くの方が知っていると思います。 

しかし、長門国はいつからあって、国府がどこにあったのか、いつの時代まで存在したのか、どこが周防と長門の境目だったのか、はっきりと知らないことも多いのではないでしょうか。

そこでこの記事では、長門国の歴史、現在の市町のどこにあたるか、などについて調べてみました。

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長門国は現在の山口県のどこ?

(地図帳より)

長門国は現在の、萩市、長門市、美祢市、宇部市、山陽小野田市、下関市、阿武町を範囲としていました。

なお、現在の宇部市の大部分が長門国でしたが、西岐波、東岐波などは周防国でした。
また、現在の山口市の大部分は周防国でしたが、旧阿東町は長門国の範囲でした。

長門国と周防国の境目は、現在の市町の境目とは一致していなかったのですね。

長門国はいつ成立した?

長門国が設置される以前には、この地域には「穴門(あなと)」と「阿武(あぶ)」という、二つの国が存在していたとされています。

穴門は豊浦(とよら)・美祢(みね)・厚狭(あさ)の三郡を中心とした地域で、現在の下関市、山陽小野田市、宇部市、美祢市周辺にあたります。
阿武は阿武郡・大津郡を中心とした地域で、現在の萩市、長門市周辺でした。

穴門は「穴戸」とも書かれ、ミナト(水門)を意味する言葉が由来となっていました。関門海峡という、交通の要衝を指していたようです。

7世紀頃、穴門と阿武の二つの国が統合され、穴門国になりました。

また大化の改新後、律令制度が整備されるとともに、国の名が「長門国」に改められました。

大陸との交流が盛んだった長門国は、本州の最西端の重要な玄関口として発展していったのです。

長門国府はどこに置かれた?

(忌宮神社)

長門国の政治の中心となった国府は、現在の下関市の長府に置かれたといわれています。

現在も長府の地名は残っており、その名は「長門国府」が由来とされています。

長府周辺ではこれまで発掘調査が続いていますが、中心施設の遺構はまだ発見されていません。
中心地の有力な候補地は、忌宮神社周辺といわれています。

いまでは風情ある街並みで知られる長府地区。
古くは多くの役人たちが、政務を行っていたのかもしれませんね。

長門国の歴史と特徴を辿ろう

東大寺再建の銅は長門国から運ばれていた!

長門国は古くから、鉱山資源に恵まれた地域でした。

現在の美祢市にあった長登銅山は、日本最古の国営の銅山であったことが明らかになっています。
長登銅山で採掘された銅は、奈良の東大寺の大仏など、国家の大事業に使われたことがわかっています。

長門国の豊かな資源は、古代日本の国家事業を支えていたのですね。

日本最古の流通貨幣「和同開珎」が鋳造された歴史的な拠点

(長門鋳銭所跡)

奈良時代には、日本で最初の流通貨幣といわれる「和同開珎」などが鋳造された「鋳銭司(じゅぜんしょ)」が置かれていました。

出土した木簡の記載から、周防国2か所(熊毛郡牛島西汀、吉敷郡逵理山)で産出された銅が長門鋳銭司に送られ、貨幣の鋳造に充てられたことがわかっています。
また、長登銅山の銅も、鋳銭司に送られたという木簡も残っています。

長門鋳銭司の操業開始時期ははっきりしていませんが、8世紀初め~中頃と考えられています。
その後、825年に周防鋳銭司が置かれたことに伴い、長門鋳銭司は閉鎖されました。

現在、下関市長府の覚苑寺に、その史跡が残されています。

長門国と長州藩の関係

江戸時代になると、長門国と周防国は、毛利氏が治める長州藩の領地になりました。

長州藩の名は、長門国に由来します。

長門の頭文字「長」と、行政区画を表す「州」を合わせ、長州と呼ばれるようになりました。

幕末には、長州藩が先頭となり、明治維新に向けて時代を大きく動かしていきます。

長門国から山口県へ

明治時代に入ると、長州藩は山口藩となります。
その後、廃藩置県を経て、現在の山口県が誕生しました。

現在、多くの観光スポットを擁する長門市に、その名が受け継がれています。

まとめ

今回は長門国について、場所や成り立ちなどをご紹介しました。

長州という言葉はよく耳にしますが、そのルーツである長門国については、あまり知る機会がなかったのではないでしょうか。

わたし自身、下関で生まれ育ちましたが、ここが昔は長門国だったということは、ほとんど意識していなかったなと思います。

下関市長府を観光で訪れる際は、ここは昔、長門国の中心だったんだな、江戸時代には城下町だったんだな、と想像してみてくださいね。

■合わせてどうぞ。

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