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雪舟・水墨画やねずみの逸話で有名な禅僧・山口を拠点に活動した文化人の生涯を探る!!

雪舟・水墨画やねずみの逸話で有名な禅僧・山口を拠点に活動した文化人の生涯を探る!!

こんにちは、防府市の主婦なんたんです^^
2020年は雪舟生誕600年として、山口市内でいろんなイベントが行なわれましたね。

なんたん
なんたん
雪舟といったら山口の常栄寺の雪舟庭や、防府の毛利博物館の四季山水図だね。山口で長いこと過ごしたらしいけど、なんで山口に来たのかな
つぶた
つぶた
教科書にも載ってて水墨画で有名なすごい人ってことはわかるけど、どんな人だったんだろうね

「すごい人」であることは知っていても、雪舟がどんな生涯を過ごしたのかあまり知らないし、知られていないんですよね。

そこで今回は、山口に深いゆかりのある雪舟について、いったいどんな人だったのか、その生涯や、なぜ山口に来て創作活動を行ったのか、雪舟の謎を調べてみました。

目次[閉じる]

雪舟とはどんな人?どこがすごいの?

雪舟は室町時代に活躍した水墨画家です。
中国の画風を吸収しつつ、各地を旅して写生に励むことで中国画の真似から脱却し、日本独自の水墨画風を確立したと言われています。

現存する作品のうち6点が国宝に、19点が重要文化財に指定されており、日本の絵画史において別格の高い評価を受けています。

ほかにも、中国だけでなく世界でもその功績と実力を認められているんですよ。

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山口に来るまでの雪舟

時は室町時代。
雪舟は応永27(1420)年に備中国(現在の岡山県総社市)の武士の家に生まれました。

幼い頃から宝福寺に預けられ、禅僧になる修行を積む日々を送ります。
この頃の武家では、相続争いを防ぐために長子以外を出家させることも多く見られたそうですよ。

なんたん
なんたん
僧侶がどうして絵を描いたのかな?
つぶた
つぶた
水墨画は禅とともにおこった芸術だそうよ。禅僧にとって絵を描くことも修行だったんですって

当時、学問や文芸の分野を担っていたのは僧侶だったそうです。

雪舟は10歳の頃に京都にある将軍家おかかえの寺であった相国寺に移り、すばらしい絵の先生に出会います。
将軍家お抱えの絵師、周文です。

周文に学び次第に実力をつけた雪舟は画僧として独り立ちし、30代半ばに当時の周防国(現在の山口)に移るのでした。

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雪舟と山口・「四季山水図」は山口で描かれた

山口から明へ、人生の一大転機

(山口市雲谷庵跡、山口県Photo素材集より)

享徳3年(1454年)、雪舟は周防国で大内教弘(のりひろ)の庇護を受け、山口を拠点とします。
山口市天花に雲谷庵を設け住まいとし、山口で画家として活躍を始めたのです。

この頃の山口は大内氏が隆盛を誇った時期。
京の都を真似た街づくりにも力を注いでおり、山口は西の京として栄えていました。

現在の瑠璃光寺五重塔が建立されたのもこの数十年前のことです。

雪舟は相国寺で等楊(とうよう)という諱(いみな、本名の意)をもらいましたが、山口に来てからペンネームという形で雪舟を名乗るようになりました。
ちなみに、「拙宗」や「雲谷」とも名乗る時期もあったようですよ。

10年以上山口で過ごした雪舟は応仁2年(1467年)、大内氏の遣明船で明へ渡航します。

明と言えば水墨画の本場。
雪舟48歳にして人生の一大転機を迎えたのです。

中国では礼部院という役所の壁に絵を描くという大事業が待っていましたが、雪舟の絵の出来栄えはすばらしいものだったらしく、明の人々を感嘆させたといわれています。

本場の水墨画を見たり、日本にいては見られなかった風景にふれることで、雪舟は絵へのインスピレーションを高めていきました。

山口市が作成した「大内のお殿様と雪舟」という動画で、わかりやすく雪舟と山口のかかわりが紹介されています。
こちらをぜひご覧ください^^

http://yamaguchi-city.jp/sesyu/s_movie.html

明から帰国後、謎の10年

2年後、明から日本に戻ってきた雪舟でしたが、帰ってきた祖国は応仁の乱の真っ最中。

雪舟のパトロンである大内政弘も、京都へ出陣して山口にはいませんでした。

明から帰ってきたものの、大戦乱のなか山口に戻れるのか、という状態。
じつは帰国してから10年の間、雪舟はほぼ山口の地に足を踏み入れていません。
やはり庇護者がいないと帰り辛かったのでしょうか。

10年の間の数年、大分にアトリエを構えて絵を描いていたことがわかっています。しかし、大分の大友氏は大内氏とは敵対関係。ここでも謎が深まりますね。

大作「四季山水図」の完成と没地の謎

(毛利博物館 国宝展パンフレットより)

その後1470年代末には、大内政弘が山口に帰ってきたこともあって、雪舟も山口へ戻っていたようです。

文明18年(1486年)、水墨画作品の最高峰ともいわれる大作「四季山水図巻」を山口で制作し、その後安定した生活を送っていました。

雪舟が亡くなったのは83歳とも87歳とも言われていますが、どちらにしても当時では驚異的な長寿ですね。影武者説もあるほどです。

雪舟はなくなる直前まで雲谷庵を拠点に活動を続けていましたが、その没地はわからないまま。
没地については3つの説があります。

島根の益田で没した説、岡山の重玄寺で没した説、そして山口の雲谷庵で没したという3つです。

晩年はパトロンの大内政弘も死去し、山口の情勢が不安定だったようで、他の説のように雲谷庵を出て、どこか違う地で没したのかもしれません。

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山口県内に雪舟庭は10以上もある?

雪舟は作庭にも造詣が深く、常栄寺庭園「雪舟庭」、島根県益田市の医光寺や萬福寺の庭園など(ともに国指定史跡及び名勝)を作ったと伝えられています。

山口県内にはもっとも有名な常栄寺だけでなく、雪舟が作ったと言われる庭はいくつもあります。
下関市川棚の妙青寺や山口市龍蔵寺の庭なども雪舟の作庭と言われ、その数10以上といわれています。

(妙青寺の雪舟庭)

なんたん
なんたん
雪舟は生きてる間に県内だけでもそんなに庭を作ったの?精力的!
つぶた
つぶた
雪舟作の証拠になる記録は残ってないんだよ

江戸時代になると、雪舟は中国風の文物や趣のあるもののシンボルになっていたようです。

庭の出来栄えがよいと「まるで雪舟が造ったようだ」というほめ言葉の意味で「雪舟庭」といわれたのではないか、という説があります。

では、常栄寺の雪舟庭は本当に雪舟によるものなのでしょうか。

(常栄寺雪舟庭)

常栄寺の庭園に関しては雪舟が亡くなった数百年のち、何回か文献で触れられています。

はじめのころは雪舟の名は出てこないのですが、江戸時代、天保期の記録では雪舟が大内政弘の命で作ったことが書かれています。

現在の常栄寺があるのは、室町時代は大内政弘の母の菩提寺である妙喜寺があった場所。
大内氏は雪舟の大きな後ろ盾になっていた。
となると、常栄寺の雪舟庭はほんとうに雪舟作という可能性が濃厚な気がしますね。

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謎が多い雪舟は伝説も多い

涙でねずみを描いた?

雪舟が幼少の頃を過ごした宝泉寺には、雪舟の絵の才能をあらわすこんな話が残っています。

雪舟は絵を描くことが大好きで、お寺に入っても修行はそっちのけでずっと絵を描き続けていました。
あまりにも絵を描くので、ある朝住職は、雪舟をお堂の柱にしばりつけてしまったのです。

これで雪舟が心を入れ替えて絵を描かなくなるだろうと思ったんですね。
「さすがに可哀そうだったかな」と心配し、住職が夕方お堂に行ってみると、雪舟の足元にねずみがいるではないですか。

住職はねずみを追い払おうとしましたが、ねずみはちっとも動きません。

よく見ると、なんとそのねずみは雪舟が足の指を使って、こぼれる涙で描いたものだったのです。

住職はびっくり!
それから住職は、雪舟が絵を描くことをけして咎めることはありませんでした。

というお話です。
わたしは知らなかったのですが、雪舟の天才っぷりをあらわす有名な話だそうですね。

じつは大内氏のスパイだった?

明から帰国してすぐには山口に戻らず、数年の間大分に拠点を構えて絵を描いていたといわれる雪舟。
大分の大友氏は大内氏とは敵対関係にありました。

なぜあえて大内氏の敵の領地に居を構えたのか?

それは敵の内情を探って、大内氏に情報を提供していたから、とも言われています。

写真技術がない当時、絵を描くことで敵の様子を記録していたのでは。すなわちスパイだったのでは? というのです。

またその後山口に戻ってからも山口にとどまらず、美濃や加賀方面に足を延ばしています。
これも大内氏の情報収集の一環としてではないかとの見方もあります。
謎ですね。

外国の切手に初めて登場した日本人

雪舟は外国の切手の絵柄になった初の日本人です!

1956年に開催されたユネスコの世界平和会議において、雪舟は世界の十大文化人に選ばれました。

それを記念し、ロシアとルーマニアで雪舟の切手が発行されたのです。

なんたん
なんたん
世界十大文化人って他にどんな人が選ばれたの?
つぶた
つぶた
詩人ハイネやモーツァルト、キュリー夫人やドストエフスキーら、名だたる有名人が選出されていたんだって

雪舟もその中の一人に選ばれたとは。
わたしたちが思う「水墨画で有名な雪舟」は、世界的にも偉大な業績を残した人物として認められているということですね!

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まとめ

今回は山口にゆかりのある雪舟について調べてみました。

武家に生まれてお寺に入り、そこで水墨画を学んで大内氏に庇護されて山口に居を構え.それからも明に渡ったり日本各地を巡ったり。なんとも活動的な生涯を送ったのですね。

当時で80歳以上の長寿とは。どれだけ精力的な方だったんでしょうか。
ほんとに興味深いですね!

せっかく山口にいるんですもの。もっと雪舟を知りたいですね。

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